第七章―――――黒色と白色





黒と白が混ざると灰色になる。
黒と透明が混ざったら黒になる。
けれど、透明は透明だ。






 ぼくは何も知らなかった。
 彼が何について悩んでいるのか。
 ただ、人間界には決められたルールがあるのだから、それを守るのは当り前のことだ。 ぼくは、ルールを守らなかったから……いや、守れなかったから友を壊した。 けれどそれは、誰にも関係なく、ぼくと友との問題で、ぼくはそれを聞かれるのも腹立たしいし、そのことに触れられるのでさえも厭う。
 君にだってそんな気持ちはあるのだろう。
 けれど……
「君はやり過ぎたよ―――

―――那弥奈君。」

「そうかなぁ?」
 彼はぼくを見て、微笑んだ。哀しそうに哀しそうに。黒い服を身に纏い、黒い眼鏡を掛けて、にやりと口元だけ笑った。 彼女が彼が、何を考えているのか、全く分からない。分かりたくも無い。 さっきまで哀川さんと、さっきまで零崎と、さっきまでぼくと。喋ってたじゃないか。 罵ったじゃないか、ぼくを。嘲笑ったじゃないか、ぼくを。魅せたじゃないか、ぼくを。
 さっきまでの黒は一体何処へ?一体何を?一体どうして?一体…………。
「退屈っていう言葉を君は知っているよね?」
 少し感じた違和感。あの時吐き気を感じたのは、何のせいでもない。あの時魅せられたのは、何のせいでもない。 ただぼくが、とてつもなく、嫌悪して嫌悪して嫌悪してやまなかった黒色の存在を認めも認めたくもなかったからだ。 彼を彼女を認めたら、ぼくは、染められてしまうと思ったから(、、、、、、、、、、、、、、)だ。 ただ色的に。ただ性質的に。ただ性格的に。ただ時間的に。ただ思惑的に。ただ単純に。彼彼女の存在を認めたくなかったのだ。 そんなことは、彼彼女に関係なく、ぼくには多大な影響もしない。何も迷惑などかからない。
 けれど、染められるということは、こんなにも恐ろしいことか。何も思わず何も感じず何も迷わず、ぼくらを動かして流して操作して終了させた。 ()にはとてもとても勝てない。
「バカだな、君は。」
 黒は口を動かす。
「何のことですか?」
「バカの中のバカだね。究極のバカが。≪透明な逃亡者(カラーレス・ランナウェイ)≫が聞いて呆れる。」
 自嘲的に笑う。
「バカの極みだ。最高だね、いースケ君。透明の癖に黒に負ける?バカじゃないのか?馬鹿じゃないのか?ばかじゃないのか? バカがバカがバカがバカがバカがバカがバカが!!!」
「な……」
「バカだねバカだねバカだね!!!君は本当にバカだ。本当にお手上げだよ!君の言動には到底呆れた!呆れも果てて呆れないよ。呆れることすら呆れ果てた。 呆れることに飽きて飽きることにすら呆れるよ!!」
 透明透明。ぼくが?何のことか分からない。透明透明透明透明……。
「透明に色はつかない!蒸発すれば色が残るだけであり、透明は消えて透明となる。透明は透明。例えるなら水。 澄み切った水。若しくは風。澄み切った風。僕等の空気中。君の周りを囲んでいる空気自身が君と一心同体。 透明は透明。透明でなくなったら、それはただの汚れでしかない。」
 にやりと口元だけ笑って、右手で眼鏡を少しだけ持ち上げる。
「ぼくはもう、汚れています。」
「そんなことないさ。」
 手のひらを空に向けて肩をすぼめて、やれやれなポーズ。
「なぜ、そういえますか?」
「君は僕を見抜けなかったから。」
「……意味がわかりません……」
「≪純粋≫だと、云いたいんだよ。いースケくん。」






 「眼鏡は究極の変装道具だ」
 あれは、哀川さんが言った言葉だったか。哀川さんが変装していた時に言っていた言葉だったか。 変装していない時に言った言葉だったか。変装に変装を重ねていた時だったのか、忘れてしまったけれど。
 忘れていた。哀川さんの大事な言葉。哀川さんは分かっていたのか。分かっていたのか? 分かっていて、この黒を泳がせていたのか。こんな汚れを泳がせていたのか。 分かっていないはずは無い。けれど、黒だ。黒のことだ。分からない。何も分からない。とても分からない。
 何が何で何を何も分からない分からない分からない分からない。

 分かりたくも無い。

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス……って知ってるよね?」
「何が言いたいんですか、狗良木さん。」
「質問に答えようよ。緑の人(グリーングリーングリーン)に言われなかった?」
 何故、彼が彼女があの人を知っているのか分からないけれど、そんなもの聞く必要もなく、聞くことも無く。
「戦国時代の武将。1582年、明智光秀の急襲を受け、本能寺で自刃した織田信長の言葉……です。」
「そうだね。正解。あってるよ。」
 また、にっこりと口元だけ笑う。彼の彼女のその笑顔が、とてもとても恐く感じてくる。優越感に浸るような笑顔でぼくを見る。
 それが恐怖感なのか嫌悪感なのか重量感なのか脱力感なのか不安感なのか……もしくは罪悪感なのか劣等感なのか。 ぼくの第六感が、ぼくの生命感が、ぼくの不信感が、ぼくの偶感が随感が情感が直感が……危険信号を発している。 臨場感が全然全く十全で傑作ほどに戯言と同等に――――……

 ―――……ない。

「いい顔だ、いっちゃん」
 彼は笑顔でぼくに語りかけた。その声は黒ではなく、この家の末弟の音声。
「本物の那弥奈君は何処ですか?」

 何も無かったように何かあるように、
 何も思っていないように何かを思っているように

「君の目の前にいるじゃない。」

 黒とも末弟とも思えない顔で笑った。






 ぼくは頭が悪いから、とてもじゃないが真剣なことは考えられないし2つのことを一度に考えるような高等な技術を持ち合わせてはいない。 誰が誰で、どれがどれで、どこがどこで、何が何で……到底、二重人格や2人で1人や君が僕で僕が君みたいなことは理解不能であって、 彼が彼女が言っている言葉は、理解できないし、しようにもしたくない。何が何でも何がどうでも、知り得ない。 知っても意味はない。とてもあるようには感じ得ない。
「皆が僕の為に鳴かなかったから殺した。それだけだよ、いっちゃん。」
 那弥奈君が言う。
「ウザかったから消しただけさ。他の何でもない。」
 黒が言う。
「つべこべ言う気なら、君も殺すよ?」
 どちらかが言う……。
 ぼくにはもう、誰が誰でどれがどれでどこがどこで何が何か……分からなくなった。
「僕には待つことなんて出来なかったからね。君に理解してもらおう何て思っても無いし、思いたくも無い。 僕は黒だ。穢れでない黒だ。大好きな色大好きな色。けれども、僕は透明が嫌いだ透明が嫌いだ。何色にも染まらないから。 白色ならばまだ良かった。僕の色に黒の色に染められるから。灰色にしてあげられるから。 僕色にも。黒色にも。闇色にも。まして、白色にも染まらない、透明が嫌いだ。だから君も嫌いだ。 殺したいけど殺せない。殺したって殺せない。殺しようにも殺せない。どうしようもない、透明だから。」
 ぼくは黙ることしか出来ず、ずっと立ち竦んでいる。何をしようにも動けない。
「良いんだよ、逃げてくれても。僕は君を殺すことは出来ないから。君を殺したって意味はない。 君が汚れられるようになってから、君を殺す。」
 ぼくは立ち竦んだまま。
「蒼を殺せば君は、蒼色に染まるのかな?」
 にこりと、笑う、黒。
 今、何かを、言った。
 何を、ぼくに、言った?

 蒼を、友を、殺すと云ったか、?

「あ"ぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 ぼくは、気が狂ったように、叫んだ。
 ぼくは、気が狂ったように、走った。
 ぼくは、気が狂ったように、手を握り、
 気が狂ったように、拳を振り上げた。
 ぼくは、天がどちらか、分からなくなった。






 黒。
 視界には何も映らず。いや、黒い色が目の前を覆う。
 ここは何処だ?ぼくは何処だ?黒は何処だ?
 ここは何だ?ぼくは何だ?黒は何だ?
 黒。黒黒黒黒黒黒黒。

透明の君(カラーレス・ランナウェイ)よ、また逢おう。 君が僕に勝てる日が来るまで、僕が君を殺せる日が来るまで、偶然と必然と運命に身を委ね、一ヶ月に一度は逢いたいものだ。」
「ぼくは、遠慮しますよ。」
 白い天井に向かってぼくは話す。
「どうせ、また逢うさ。神は気紛れだから。」
「ぼくは神なんて信じませんけどね。」
「僕も信じてないさ。」
 うふふと笑う、黒。
「それでは、またね。僕は去るよ。赤と僕に近くて遠い灰色に宜しく。」

 ガチャリと言う音が鳴って、
 ギイイと言う音が鳴って、
 もう一度、ギイイと言う音が鳴って、
 バタンと言う音が鳴って、

 音が無くなった。







第6章最終章